「百見は一実験に如かず」科学の普及に力を尽くした白川英樹先生を悼む
ノーベル化学賞学者の白川英樹さんが8月24日に90歳で亡くなったと報じられた。利根川進さん以来13年ぶりの日本人受賞が2000年に決まった時、自宅に押しかけた取材陣に対応せず記者を泣かせたのも今は昔。その後は科学報道を応援し、日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)の活動に献身的に関わった。実験教室を開くなど草の根の科学普及活動にも尽くされた。その一貫した姿勢に感謝と尊敬の念が募るばかりだ。
高橋真理子
2026.09.05
読者限定
ノーマークの受賞で報道陣は大混乱
日本人が毎年のようにノーベル賞をとるようになったのは、2000年代に入ってからだ。その嚆矢が白川さんだった。そして、それは報道陣にとっては「悪夢」だった。どの新聞社も野依良治さん(翌年受賞)のことは予想して準備していたが、白川さんは完全にノーマークだったからだ。
私は当時、朝日新聞の論説委員で、もし日本人(具体的には野依さん)が受賞したら社説を書かなければと職場で待機していた。科学3賞は今では月、火、水と別々の日の日本時間夕方に発表されるが、当時は物理と化学は同じ日だった。まず、6時半ごろに物理学賞が発表され、化学賞は9時半ごろ。そして2000年10月10日(火)の夜に「Hideki Shirakawa」という名前が発表されたのだった。